カウントダウンアプリ

今年のお正月、スマホにカウントダウンアプリをダウンロードした。

以下4つのイベントに向けたカウントダウンを設定し、毎日、各イベントまで「あと何日か」を確認しながら暮らした。

 

「今年はあと何日か」

「今年の土日はあと何日か」

「40歳まであと何日か」

「80歳まであと何日か」

 

少しずつ、且つ、着実に日数は減っていく。

グラフははじめは綺麗な円を描いているが、少しずつ少しずつ円が削れていき、最後はほぼ点にしか見えなくなり、そして消えていく。

 

わたしのスマホのアプリ上の画面(本日時点)を見て欲しい。

 

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  • 「今年の土日」がほぼ点であり、あとはほぼ空白になってしまった。
  • 「今年の日数」も点に近づきつつある。
  • 今年のお正月には綺麗な円を描いていた「40歳までの日数」は円よりもアルファベットのCに近い。
  • まったく見た目が変わらなかった「80歳までの日数」だって円としては明らかに不完全になった。

 

これを見ていると哀愁が湧いてくる。

「ああ、こんなにも人生が減ってしまった」と。

「あとこれしか残っていない」と少し焦る。

 

でも、こんな思考はイケてないとも思う。

空白を見て感傷に浸っているから。

 

そもそも、この円の空白は空白ではなかったはず。思い返せば嫌なことも楽しいこともたくさんある。

こんなイメージ。

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それなのに過去が空白に見えてしまうのが人間のあさましさだ。

過去を憂いて、将来を憂う。

こんな思考はまっぴらごめん。

 

思考を改める方法をいろいろと考えると、日々何かを積み重ねているってことが大切なんだと思う。

何でもいいから続けて積み重ねてきた自負があれば、過去を空白として捉えることはない。本当に何でもいい。ブログでも、歯磨きでも、1分ストレッチでも。

 

続けるってことは何かを積み重ねてきたということ。積み重ねっていうのは連続性があり過去から今をつなぐ性質が強い。だから、積み重ねがあると過去の自分が今の自分につながっていると思える。

 

ここが重要。幸せって、過去の自分と今の自分のつながりに満足することだ。

 

とにかく「わたしは過去からこれを積み上げてきたな」って自負できたら、人生は幸福だと思う。

社会は「障害」を受け入れることができるか。

もし、障害者の家族になったとき、障害者の友人になったとき、わたしたちは「障害」を適切に捉えて前向きに理解することができるだろうか。

 

現代の日本社会では、障害という問題は非常に一般的なものであり、誰もが当事者として向き合うことになり得る、ということをもっと知っておいた方が良いと思っている。

 

厚生労働省によると、身体障害者393万7千人、知的障害者74万1千人、精神障害者392万4千人の900万人近い人々が「障害者」として暮らしている。それぞれ家族がおり、「障害者の家族」はその数倍の人数になる。どこまでの親族関係を家族とするかによるが、同居家族数だけで考えても人口の少なくとも10%以上が障害者またはその家族ということだ。

 

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つまり、障害はイレギュラーな事象ではなく、ごく身近のありふれた事象だ。後天的な障害の方が多いので、あなたも私もある日突然、障害者の家族になり得る。

 

そうなったとき、わたしたちは障害を受け入れることができるだろうか。障害者と生きることのインパクトをうまく生活に吸収していけるだろうか。

 

少なくとも私たちは「障害者の家族としてどう生きるか」というテーマについての教養を持っていない。だから、すぐに受け入れることは難しいし、苦難として捉え続ける人も多いだろう。

 

これは、日本の教育過程においてこの問題が重視されていないためだ。私たちが学校で受ける障害に関する教育は「平等や相互理解の重要性」を説くものであり、障害という事象に身近で接した場合に、その事象とどのように付き合っていくべきかを説くものではないのだ。

 

また、障害者を教育段階からセパレイトする社会である為、障害を持つ友人を身近に感じ、接するという経験が圧倒的に少なく、障害の受容に慣れていない。

 

障害者の家族は障害者と生活していく上で、多大な不安や困難に直面することになるだろう。多くの人は身近に障害という事象が突然発生することで、落胆・混乱・怒り・戸惑いといったものが入り混じった感情を発症し、それを収めていくのに長い月日を要することになる。

 

だが、それを乗り越えられることをちゃんと認識しておいた方がいい。障害受容のプロセスについてはいくつかの有名な研究がある。例えば、ドローターやクラウスが示す「ショック→否定→悲しみと怒り→適応→再起」[中田 2002:31;石川 1995:26]は代表的な段階説だ。このフレームは障害を持つ子どもの家族について語られるときには、必ずと言っていいほど、引用される〔中田 2002:31-32〕。 この段階説にあるように基本的に、障害の捉え方は変えることができ、いつかは前向きな捉え方で受容できるものとされている。

 

しかしながら、これらは障害受容のプロセスを整理するフレームワークであり、方法論ではない。実際に障害に対峙する人々のヒントにはなりにくい。ドローターらが示す段階説の「適応」部分を各家族がどのようなプロセスで実現したかは見えないからだ。きっとそのプロセスに、障害者・障害者家族を勇気づけるヒントがあると思う。

 

知的障害の息子をもつ大江健三郎は障害者の親の立場を次のように語っている。

 

いろいろな経験をして、こちらは叩きのめされているわけです、正直いえば。叩きのめされてきたけれども、しかし、僕たちはそこから立ち直っている。さらに新しい困難がやって来ることもある程度予想しながら、それが自分の目の前に来るまではおびえないでいる力をもっていると思います。暗い面もはっきり認識しながら、しかし、障害をもった子供と自分とは確かにある役割を社会で果たしている、果たし得るという気持をもっているわけです。いやお前たちには役割がないというふうないい方をする人には、直接抵抗してやろうという気持ももっています。たとえば町で障害をもった子供のお母さんに会うと、その考え方に立って、お互いに激励し合いたい気持です。[大江 1990:44]

 

大江さんが「障害」に真正面から向き合い、苦しみ、理解し、前進する姿勢に至ったことがよく分かる文章だ。どのような過程があり、このような姿勢に至ったのかは想像し得ないが、このプロセスは非常に興味深く、多くの障害者家族を勇気づける教養になるはずだ。

 

何らかの問題と対自する場合、研究や論文などアカデミックなものに頼ってしまいがちだが、障害者の家族として生きるヒントは、先輩の障害者家族の中にあると思っている。大江さんのように苦難を乗り越えた人たちの考え方や視点は、とつぜん障害と対峙する人々のそうした人たち同士が経験談をシェアしあうような仕組みがこの社会にはもっと必要だ。そういう場を作るべきだと思うし、できれば自分も貢献していきたい。

 

株式会社LITALICOは発達障害の情報交換サイトを始めている。障害に直面した人がその状況を乗り越えた経験を共有する場は少ない。だからこそ、LITALICOのようなインターネットを活用した情報インフラが整備されていけば、もっと社会が障害を受け入れやすい状態が作れるはずだ。

 

h-navi.jp

 

株式会社エス・エム・エスが運営する認知症専用ポータルサイト認知症ねっと』もこのテーマに沿った情報インフラと言える。2026年に認知症患者は700万人規模になると言われている。ここに蓄積されている情報にきっと多くの人が助けられるだろう。

info.ninchisho.net

 

世界中の人々の楽しみが共有されるインターネットの世界は素晴らしいけれど、「世界中の人々の苦難の乗り越え方を共有する」という意味でまだまだ可能性を残していると思っている。今回は「障害」を主題に考えてみたけれど、それ以外にも人生には突発的な苦難が溢れている。そのとき先人に道を尋ねられるインフラを整備できれば、より素晴らしいインターネットの世界が広がるはずだ。

 

参照文献 ・推薦文献

石川 准

1995 「障害児の親と新しい「親性」の誕生」 『ファミリズムの再発見』 井上眞理子、大村英昭(編)、pp.25-59、世界思想社

 

猪瀬 浩平

2005 「空白を埋める―普通学級就学運動における「障害」をめぐる生き方の生成―」 『文化人類学』 70/3、pp.309-326、日本文化人類学会。

 

 

上田 敏

1983 『リハビリテーションを考える:障害者の全人間的復権』 青木書店。

 

上田 敏・大江 健三郎

1990 「人間共通の課題としての『障害の受容』」 『自立と共生を語る-障害者・高齢者と家族・社会』 pp.9-67、三輪書店。

 

上田 敏・正村 公宏

1990 「福祉社会への道」 『自立と共生を語る-障害者・高齢者と家族・社会』 pp.85-154、三輪書店。

 

 

鎌田 正浩

1998 『知的障害がある子を真に受容するには-大江健三郎の文学作品等の分析を通して考える-』 鳥影社。

 

クラインマン、アーサー

1996 『病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学』 江口重幸他訳、誠信書房

 

土屋 葉

2002 『障害者家族を生きる』 勁草書房

 

中田 洋二郎

2002 『子どもの障害をどう受容するか―家族支援と援助者の役割―』 大月書店。

 

正村 公宏

1993 「ダウン症の子をもって」 『障害とともに-新しい自己(Ⅱ)-』 柳田邦男(編)、pp.37-143、文藝春秋

 

茂木 俊彦

2007 『障害児教育を考える』 岩波書店

わたしの腹の底にあるもの

仲間とゴールに到達する。

それは果たして楽しくやりがいのあることだろうか?

 

この答えは、

 

①どんな仲間か

②どんなゴールか

 

によって異なる、と考えている。

 

この2つの条件がある状態で揃ったとき、ゾクゾクするようなやる気と、ワクワクする楽しみが湧いてくる。「ゾーンに入った」と感じる瞬間だ。

 

そして、この場合、仲間とゴールしたときに感じられる楽しみとやりがいは想像もできない喜びであるはずだ。

 

実は、ゾーンに入ったことはあっても、ゴールに辿り着けたことはないのでこれは推測でしかない。

 

ただ、2つの条件が揃った時に感じる「この仲間とこのゴールを目指すことはこの上ない」という確信から、「ゴールしたときに得られる喜びもこの上ない」と確信している。

 

では、2つの条件がどのような状態だと、ゾーンに入れるのか。わたしはこれを言語化して認知できていない。

だから、意識的にゾーンに入ることはできないのだ。ただただ、いろんな人といろんなゴールを目指すことを繰り返すしかない。

 

わたしは高校の「あのとき」以来、ずっとゾーンには入れていない。冒頭の①はゾーンに入れる条件に合致したと感じる瞬間があったが、②は条件に合致しなかった。

 

わたしにとって大切なのは「ゾーンに入ること」だ。

 

どこに属しているとか、どんな役職だとか、給与水準だとか、社会貢献だとか、フリーランスであるたか、複業スタイルであるとか、男でも育休を取れるとか、そんなもんを大切にしたいんじゃない。

 

それらは手段だ。

 

あなたにとって大切なのも「ゾーンに入ること」であるはずだ。

 

それはとても見つけにくい。でも、見つけるまで諦めるな。決して見つからない。見つけるしかない。どこにゾーンがあるかは誰にもわからない。だから働き続けるんだ。いろんな仲間といろんなゴールを目指すことを繰り返すんだ。

 

わたしは前回のゾーンでしくじった。自分のことばかり考えてチームの推進力になれなかった。次は必ずゴールまで推進する。絶対にゴールする。仲間と最高の喜びを分かち合うんだ。

 

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わたしの腹の底にあるのは、こういう気持ちだ。ゴールしてもゴールしても見つからないが、ゾーンを探してまた働く。少しずつ近づいている。絶対に見つける。だから働くのはマジで楽しい。頑張ってゴールしても、その先があるからマジで楽しい。

 

サイボウズ『働き方改革、楽しくないのはなぜだろう。』を読破して

サイボウズは20周年記念コンテンツとして『働き方改革、楽しくないのはなぜだろう。』の特設サイトをオープンしました。

内山勇士作のメッセージアニメ『アリキリ』をメインコンテンツに、「働き方」をテーマとして様々なコンテンツが掲載されています。

 

cybozu.co.jp

 

新聞広告・街頭広告を使った大規模なプロモーションが行われており、ネット上でも話題となっていますね。

 

 

 

 

 

 

メッセージ性の強い広告とアニメもおもしろいのですが、何より「働き方」に関する議論がたくさんまとめられていることに価値があります。

様々な人が様々な立場から「働き方」について語る。正解もなければ、意見もばらばらですが、「働き方」についてよく考えた人の意見であることはひしひしと伝わってきます。自分の「働き方」について突き詰めて考えるための視点やヒントを得るためのメディアとしてとても価値が高いと感じました。

 

※「働き方」といえば鉄板のこちらも改めておもしろい

ほぼ日刊イトイ新聞 - はたらきたい。

 

一方でこのコンテンツを読破した(ボリュームありすぎてこの表現が一番しっくりくる)後、サイボウズに超えてほしい壁を感じました。

 

青野社長が言っている「みんなで集まって働くことが楽しいかどうか」をもっと突き詰めていってほしいな、ということです。

今のコンテンツは「働き方」に対する様々な視点があることがわかってとてもおもしろいのだけれど、「みんなが集まって働くことが楽しい会社」と「みんなが集まって働くことが楽しくない会社」のどこがどう違うの?という点は霧に包まれたままでモヤっとしている気がするんです。

 

もう一歩踏み込んでいうと、両者の文化(価値観・ルール・組織体系・情報伝達の仕組みなど)には具体的にどういう違いがあるの?ということを深堀りしてほしい。深掘りしないと、「働き方」に関する様々な意見は、それぞれのおもしろい意見が飛び交っただけになる。せっかくなら「働き方」の基盤となる組織の文化をどうすべきか?という具体的な議論に発展させてほしいのです。

 

できれば、エスノグラフィを用いてほしいなあ、と。文化人類学者が各民族の文化や仕組みを読み解く際に、参与観察によって情報収集をして後に集めた情報をもとに文化をモデル化したのと同じように。企業に仮入社して参与観察した結果をまとめて記事にしたら鳥の視点(俯瞰した視点)と虫の視点(接近した視点)が持てて、とてもおもしろいことがわかると思うんです。

 

実際には、この会社はみんなが楽しく働いていて、あの会社はそうじゃない、というのは定義できないので、まずは、日本企業と外資系企業の違いを参与観察から紐解くってテーマがおもしろいんじゃないかな。日本とドイツであれだけ生産性に違いがある背景は誰もが気になっているところだと思うんです。行動様式が明確に違っていて、行動様式を決める文化が明確に違うはず。そこは外からじゃあ見えない。

 

外から見える制度や社長インタビューなんかで紐解くんではなくて、実際その会社で一定期間働きながら観察した情報をもとにどこがどう違うか比較してみたい。

 

・突発トラブルへの対応判断のプロセス

・上司から部下への指示の出し方

・サービスの期待値のクライアントへの伝え方

・価格交渉における値下げのプロセス

 

などなど、比較すると全く違う価値基準で判断が下されていて、それが生産性や職員の働き方につながっていると思うのです。それを「働いてみたらこうでした」と言えるコンテンツがあれば「働き方」の議論が一気にブレイクスルーするはず!

まあ「研究者がやれよ」って話でもありますが、サイボウズさんがやった方が一般にわかりやすく発信できると思うんだよなあ。

 

好き勝手書きましたが、これからもサイボウズさんのおもしろい「働き方」コンテンツに期待しています。

 

 

スポーツ観戦は『スラムダンク』を読むように

スポーツ観戦初心者に訴えたいことがあるのでここに記しておく。

 

スポーツ観戦を「おもしろくない」と言う人がいるけれど、それはほとんどが観戦の仕方を過った結果だと思っている。

 

みんな、サッカーなり野球なり、そのスポーツ自体に期待しているのが間違いなのだ。そのスポーツのルール・仕組み自体に魅力があると思っていることが間違いなのだ。

 

では、どんな観戦の仕方が正しいのかといえば、わたしは「スラムダンクを読むように観戦すること」が正しいと訴えたい。

 

スラムダンクってなに?」と思った方は、恐縮ではあるが、ひとまずご退場いただきたい。とりあえず漫画『スラムダンク』の県大会・綾南戦くらいまで読んだ上で戻ってきていただけるのなら幸いだ。

 

 

話を本筋に戻す。『スラムダンク』はバスケットボールの試合を中心にストーリーが展開するが、読者はそれをバスケットボールという一スポーツとして楽しんでいるわけではない。様々なキャラクター同士のやり取りが、バスケットボールという媒体を通じて展開していく様を楽しんでいるのである。

 

"名前も知らない高校三年生の全国大会出場を決めるスリーポイント"と、"木暮公延の全国大会出場を決めるスリーポイント"のあいだには大きな価値の差があるのだ。

 

ここまで来ればわかっていただける筈だ。スポーツ観戦の楽しさを分けるのは、選手(およびチームスタッフ)に対する理解度である。

 

どんな経歴なのか、どんな性格なのか、どんな苦労をしてきたのか、どんな成功をしてきたのか..

 

これらをできるだけ理解した上で試合を観れば、単なる一試合もドラマチックに見える。

 

かつての盟友同士が争う試合、親子が監督・選手で争う試合、期待されて不発だった助っ人選手の初得点、苦労した若手のデビュー戦、一度も勝ったことがないチームからの勝利..どんな試合にもどこかしらドラマを感じる瞬間がある。これを見いだし楽しむことが醍醐味なのだ。

 

スポーツ自体はドラマを媒介する媒体に過ぎない。最低限のルールを押さえたら、とにかく選手に注目してほしい。

 

名前が変だから、背が大きいから、ヤンキーみたいだから..理由は何でもいいからまず一人の選手に注目して欲しい。そしてその選手を中心にスポーツを観戦してみて欲しい。その選手の味方、敵、監督、ファンへと理解は広がっていく。そして自然にドラマは生まれていくはずだから。

 

そう、桜木花道を中心としたドラマがそうだったように。

 

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週3回の夜90分が人生を分ける

週3回の夜90分が人生を分ける。

今日はこの提案について論考してみたい。

 

これは、英国の小説家、劇作家であったイーノック・アーノルド・ベネット (Enoch Arnold Bennett、1867年5月27日 – 1931年5月27日) が著書『自分の時間』において提案したものだ。

 

自分の時間 (単行本)

自分の時間 (単行本)

 

 

以下、ベネットの主張の一説である。

私が言いたいのは、「夕方6時に、あなたははまだ疲れているわけではないのだ」という事実を直視し、受け入れるということだ(事実、あなたは疲れてはいないのだから)。

だから夜の時間が、食事のために真ん中で中断されないよう配慮することだ。そうすれば、少なくとも3時間というゆとりある時間をもてることになる。

私は何も、毎晩この3時間を、「知的エネルギーを使い果たすようなことに使え」などと言うつもりはない。

私が申し上げたいのは、まず手始めに、ひと晩おきに1時間半、何か精神の向上になるような意義のあることを、継続してやってみてはどうだろうかということである。

それでもまだ3晩残るのであるから、友人と会うこともできるし、ブリッジやテニスをすることもできる。家庭内のことをやったり、ちらっと本のページを繰ったり、タバコをふかしたりもできる。庭いじりもできるし、ただ何となく時を過ごしたり、クイズの懸賞に応募することもできよう。

なおその上に、「週末」という素晴らしく豊かな時間があるのだ。もし辛抱強くひと晩を意義あることに使いつづければ、本当に充実した生活をするために、やがてさらに4晩、5晩と努力を重ねていきたいと思うようになるだろう。

 

90分の時間を週に3日確保し、ひとつのことに集中する。その積み重ねが人生を分ける。この提案自体は的を射ているかもしれない。たしかに時間の不足を理由に関心があることに取り組まないことは誰にでもある話だ。いくら「不足」していても週に3日は90分を確保することは一般的には可能であり、その積み重ねは人生の可能性や充実に大きく作用するように思える。

10年前から週に3日の90分を語学学習に充てたらどうだろう。2340時間英語を学んだ私と、一切英語に触れなかった私とでは全く異なる人生になるに違いない。

 

が、そんなことは誰もがわかっている。

問題は、それをいかにすれば実現できるか、ということである。 

いかにすれば週に3日、90分という時間を自分の精神的な(あるいは取り組んでみたい)活動のために確保できるのか、だ。

 

結論から言うと、脳の切り離しと訓練が一つの解になる。ベネットも別の文脈で述べているが、脳を自分とは切り離して認識し、その動きをコントロールするというスキルが、大事なことに集中し持続的にそれを行っていく為には肝となる。

 

わたしはこれをみうらじゅん氏の著書から学んで実践している。彼の主張では仏教的な観点からの「脳の切り離し」がよく提案される。

脳にはクセがあり、そのクセに沿って動いているというイメージを持つと、何となく脳は同居人のように思えてくる。同居人のイメージを持つと今度はコントロール可能な存在として認識できるのだ。

試してみるとおもしろく、意外と脳のクセは矯正できる。例えば、仕事が立て込んでいると様々な案件が心配になって注意が散漫になる。しかし、毎日ひとつのことに集中する訓練を始めてからは、どんなに忙しくても目の前のやるべきことを淡々とこなせるようになった。

 

訓練の方法はシンプルだ。朝夕の食事で、とにかく「味わう」ことに集中することだ。食事の時はテレビは決してつけない。どんなに粗末な食事、例えばカップラーメンであっても、食べることに集中する。麺の固さ、スープの香り、塩加減、かやくの味。様々な要素に注目して食べることだけを楽しむ。

これができるようになるまでは大変だった。脳に築かれた強固なクセは、テレビをつけたがり、スマホをいじりたがる。何かをしながら食べたいのだ。

脳をコントロールする為には、とにかく食事に関することだけを考え、何か他のことに関心が行きそうになる脳を引っ張り戻す意識が必要だ。辛抱強く一週間も戦うと、かなりの時間を食事に集中させることができるようになる。

 

先ほども述べた通り、食事に集中できるようになると、目の前のことだけに集中する能力が身についてくる。これはとても不思議な感覚なので是非体験してみていただきたい。様々なタスクを背負っていても「この30分はこれに集中する」という意思を持つだけで、その他の心配事や関心は一切浮かんでこない。

 

はじめは30分でも徐々に集中できる時間は長くなる。これによってベネットの唱える世界観に近づくことができるのだ。

 

わたしは訓練を始めてまだ3ヶ月程度だが、今までとは一日の充足感が全く異なる。単純に自分の関心事に集中できる機会が増えたことで気持ちが充足している。どんなに仕事が上手くいかない時もだ。ベネットの提言する通り、仕事が終わっても疲れてなんていないということを実感し、驚いている。

そして、この状態を長年続けられた時の、大きな変化に今から期待している。

 

ポイントは、まず目の前の食事をできるだけ美味しく味わうことだ。

 

 

 

 

松本山雅FCとの黒歴史を振り返る(東京ヴェルディ視点)

松本山雅FCとの黒歴史

東京ヴェルディはもう9年間も辛く厳しいJ2リーグを戦っています。

それでもわたしは志を持って応援し続けています。

 

tomarunao.hatenablog.com

 

そんなJ2歴の中で最も辛い科目が「松本山雅FC」です。これまで9戦でたったの一勝。

もう見るのも辛いんだ。あのユニフォーム。

EPSONのプリンター…ごめん買えないよ。

 

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本日、リーグ戦10回目の松本山雅FC戦を迎えます。

今日こそ勝ちたい・・・

この樹海から抜け出したい!早く脱出したい!

 

樹海とのお別れに期待して、敢えてこの黒歴史を振り返っておきましょう。

これで最後にしたいよう。

 

一つ一つ見ていきます。

決して目をそらしてはいけません。

 

出会いの時

新たな緑ダービーで先輩としての意地を見せる。

2012/03/04 13:05 味の素スタジアム 12,432 人

東京V 2-0 松本

51' 小林祐希(東京V) 

58' ジョジマール(東京V)   

               

暗黒の扉

樹海・松本に足を踏み入れてしまう。

育てた猫に噛まれるとは..弦巻よ..

2012/07/08 18:03 松本平広域公園総合球技場 10,921人

松本 3-2 東京V

38' 弦巻健人(松本)

68' 森勇介(東京V)

82' 玉林睦実(松本)

85' 塩沢勝吾(松本)      

90' 中後雅喜(東京V)

               

まだイーブンでしょ?

まだ、樹海に踏み込んだことに気づいていなかった。

2013/05/15 19:03 松本平広域公園総合球技場 8,855 人

松本 0-0 東京V

 

あたりが真っ暗なのに気づく

気づけば手も足も出ない。自陣なのに敵ばかり。

2013/08/25 18:03 味の素スタジアム 6,544 人

東京V 1-3 松本

43' 犬飼智也(松本)

58' 船山貴之(松本)

61' 小池純輝(東京V)

73' 岩上祐三(松本)

               

樹海奥深くへ

ボッコボコとはこれか。またも自陣なのに敵ばかり。船山にはもう会いたくない。

2014/03/02 13:04 味の素スタジアム 12,658 人

東京V 1-3 松本

05' 船山貴之(松本)

08' 前田直輝(東京V)

45'+2 船山貴之(松本)

88' 船山貴之(松本)

 

ほんの一時の休息

ガンガン行って一瞬の光を見出すが、またも閉じ込められる。

2014/07/26 18:04 松本平広域公園総合球技場 11,600 人

松本 1-1 東京V

75' 杉本竜士(東京V)

81' 犬飼智也(松本)

 

もう何も見えない

J1から帰ってきてしまった…

ふざけんな、貸してやった前田直輝をJ1に置いてくるとは何事だ!

はるばる自陣までやってくる敵はお金を運ぶお客様。そう思わないとやっていけない。

2016/05/07 16:03 味の素スタジアム 8,664 人

東京V 0-4 松本

08' 宮阪政樹(松本)

28' 高崎寛之(松本)

51' 高崎寛之(松本)

59' 高崎寛之(松本)

 

早くJ1に昇格してくれ

寒いし、全然が歯が立たないし、何なんだよ(泣)高崎にはもう会いたくない。

2016/11/06 13:04 松本平広域公園総合球技場 15,343 人

松本 2-0 東京V

23' 石原崇兆(松本)    

29' 高崎寛之(松本)

 

敵の様子がおかしい

おや?いつもと違うぞ。何とか追いつけた。

2017/06/04 13:03 松本平広域公園総合球技場 12,527 人

松本 1-1 東京V

47' 安川有(松本)

83' 安在和樹(東京V)

 

記念すべき10戦目

果たしてどうなるか。

遠路はるばるやってくる松本山雅の皆様、良い試合にしましょう!

2017/09/10 18:30 味の素スタジアム 10,000人以上を希望(敵ばかりでも構わぬ)

Coming Soon !

Come on, Verdy !