遊んでいれば暮らしになる

「遊んでいれば暮らしになる」

 

以前、スペインへ向かう飛行機内で隣だった老女にもらったアドバイスだ。仕事が辛くなるたび、将来のキャリアを考えるたびに、この言葉を思い出す。

 

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あれはどういう意味だったのだろう。

ああでもない、こうでもないと思考を巡らすことが楽しい言葉である。

 

最近、オランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガの著書『ホモ・ルーデンス』を読んだ。ホイジンガは遊びは文化よりも古く、「ホモ・ファーベル」(作る人)よりも「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)が先にあると主張した。人間はもともとがホモ・ルーデンスであり、文化はその後に作られるというのだ。

 

この本を読んでから、あの老女は「遊ぶことが暮らしを生むんだよ」ということを伝えたかったのではないかと考えるようになった。

 

じゃあ、「遊ぶ」とは何なのか?

大人として日々「遊ぶ」とはどういうことなのか?

また学説に頼った。思考を深めたい時にはすぐに本にヒントを求める質だ。

 

フランスの社会学ロジェ・カイヨワは著書『遊びと人間』のなかで遊びを以下のように定義している。

 

  1. 自由意志に基づいて行われる
  2. 他の行為から時間的・空間的に隔離されている
  3. 結果がどうなるか未確定である
  4. 非生産的である
  5. ルールが存在する
  6. 生活上どうしてもそれが必要と思われていない

 

自由意志に基づき、必要性に乏しく、結果がわからない。

それが先立ち、その後に文化が作られる。

作られたものの上で暮らしていても自分の文化は作れない。

まず遊び、その後に自分の文化が作られる。

仕事や生活も、まず不透明で非生産的に思える遊びから始める。

そういう姿勢が新しい文化(価値)を生んでいく。

 

あの言葉は、こう捉えることが一番しっくりくると思えるようになった。

 

ホモ・ルーデンス (中公文庫)

ホモ・ルーデンス (中公文庫)

 
遊びと人間 (講談社学術文庫)

遊びと人間 (講談社学術文庫)