消費ではない新しいハレが必要になる ー ハレとケとは

生活していく中で何ら変わらない日々に辟易してしまうことがあります。

平穏な生活を送っていても、鬱屈とした気持ちが溜まっていく。

これは一体どういう感情なんだろうということをよく考えていました。

 

この疑問に対して、納得のいく捉え方を示してくれたのが「ハレ」と「ケ」という概念です。ハレ=非日常、ケ=日常であり、人間の生活はこの繰り返しがあってバランスが取れるという考え方です。

 

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もう少し詳しく見ていきましょう。

この思想は民俗学者柳田國男に端を発し、人の生活には伝統的に「ハレ」と「ケ」の場が存在すると考えられてきました。「ハレ」とは祭や年中行事など非日常の状態を示す概念であり、「ケ」とは日常の状態を示す概念。簡易的にハレ=非日常」「ケ=日常」と捉えられます。

文化人類学的には、ハレとケの間には「ケガレ」という概念があって、社会はケの状態が続くと社会を動かす原動力(エネルギー)が枯渇してケガレ(ケ枯れ)に陥り、ハレの行事がそのエネルギーを補い、ケの状態に戻すと考えられてきました。

 

学校生活で例えるとわかりやすいと思います。例えば遠足に向けては気持ちが高揚していく(ハレ)。遠足が終わるとしばらくはその余韻があるが、普段の学校生活に戻っていく(ケ)。それが続くと必ず停滞感がやって来る(ケガレ)。またそのタイミングで運動会があり気持ちは再び高揚していく(ハレ)。このサイクルがあることで学校生活に彩りが与えられていきます。

 

つまり、日常の生活が続いた時の「停滞=エネルギーが不足した状態」を脱するために必要なのがハレの場であり、それがない状態が続くと鬱屈とした気持ちになってしまう、ということです。

 

現代に暮らす私たちにとって「ハレの場」というのは意外に少なくなってしまいました。昔の人々にとって「ハレの場」というのは、お祭りなどの行事にかこつけて美味しいお酒や食べ物を味わえる場でもありましたが、現代では美味しいお酒や食事は日常的に楽しむことができます。また、様々なイベントが年中行われ、非日常体験はテーマパークや旅行などで手軽に体験できます。

ある程度のお金と時間があれば、かつての非日常的なものは殆ど手に入ってしまうと言っても過言ではありません。そうすると、かつての非日常はを非日常として感じなくなっていきます。たくさんのハレの中で、相対的にハレと感じることが減ってきているのです。

 

ハレを増殖によりハレのハイパーインフレが起きていると言えます。

みんなが特別な体験を求めて、少し変わった消費に飛びついていますが、心の底からワクワクするような消費体験はもう殆ど残っていないんじゃないかと思うほどです。

今はインターネット上での体験が少しだけその状態を助けていると言えます。SNSや出会いアプリを使ってネットを通じた出会いにワクワクしている人たちが多く存在します。また、ネット上で知名度を上げることも同様の高揚体験になっています。

  

しかし、インターネットを通じたハレ体験さえも、非日常としての価値を失っていくと思います。既にSNSが日常の一部になっている人が殆どですし、「SNS疲れ」といった離脱傾向も見られており、インターネットは「ハレの場」としては一過性のものになるのではないでしょうか。

 

わたしたちには新たなハレが必要になります。それはインターネットの世界に閉じたものや、消費するだけのものでは持続性がありません。

キーとなるのは「創造」の要素です。現代のハレは単なる消費ですが、かつてのハレは創造の要素を持っていました。お祭りにしても年中行事にしても民衆が協力して作り上げていく過程があったのです。誰かと何かを作り上げる。その特別感こそがハレの本質であり、日常にエネルギーを補充する要素だったのではないでしょうか。

 

現代には豊富なリソース(人・物・金)がありますが、ただただそれらを消費することで日常にハレの要素を取り込んでいるだけに見えます。本来は、それらのリソースを生かして誰かと何かを作り上げるハレを日常に取り込んでいくべきだと思います。

 

きっとその方が楽しくて、充実した気持ちで暮らしていける。

誰かと何かを作り出す。このことに拘って暮らしていきたいと思います。